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沿革
ロマンティック・ホテル・シュテルンは、長い歴史を誇る老舗ホテルで、クールの文化史の一端を担ってきました。昔から当地にあり、今も現存するホテルのなかでも、旧市街地のホテル・シュテルンは最も古い伝統をもつ宿といってよいでしょう。1548年にヨハネス・シュトゥムフが描いたクール全景画にも、レグラ教会の隣りに、幅広い屋根の細長い建物が既に見受けられます。しかし、残念ながら、それが当館先代建物であるという確かな証はありません。
それに対して確かなのは、ホテルの存在を裏付ける史料記述です。1677年には、宿屋「ガストハウス・ツム・シュテルン」についての言及が文献に見られます。クールは山岳部の峠またはボーデン湖に通じる数多くの重要な交通路が交わる要所であり、中世から往来の盛んであった南北交易路の宿場町として大きな役割を果たしました。旅人はここで足を休め、藁の床に身を横たえました。シュテルンには、当時、専用の厩舎をもつ馬継ぎ所でした。
シュテルンは、様々な人の手に渡りました。数年間、クール市が所有していた時期もあります。しかし、ひっきりなしに所有者が変わっても、揺るぎない評判をシュテルンは得ていたようです。いずれにせよ、クールの著名な歴史記述家が、19世紀半ばに市内で5本の指に入る有名ホテルとしてシュテルンの名を挙げています。
名士来訪 |
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その長い歴史を通じてシュテルンに宿泊した有名人は、枚挙に暇ありません。「モヒカン族の最後」を含むレザーストッキング物語の作者であるJ.F. クーパーも、1828年にグラウビュンデンを旅した折に、シュテルンに滞在しています。1884年8月、「ゼッキンゲンのラッパ吹き」と「エッケハルト」を認めた詩人ヴィクター・フォン・シェッフェルがシュテルンに泊まりました。1948年には、女優のヘレーネ・ヴァイゲルと映画監督のカスパー・ネーアーとともに、ベルトルト・ブレヒトがシュテルンに5週間逗留しました。ソポクレスの作品をもとにブレヒトが改作した戯曲「アンティゴネ」の稽古が目的で、作品はクールで初演されました。さらに時代を遡ったところでは、マリア・ベッカー、ホルスト・タッペルト、クリスティアン・コールント、ヴァルター・ロデレール、ルート・イェクリン、アネ・マリー・ブランク、ウルズラ・モンなどの各界の著名人が訪れています。 |
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昔から現代に至るまでずっと、シュテルンは所有者により家族経営されてきました。タヴェルナ家が三代にわたり(1882年~1969年)、シュテルンを所有、経営しました。1969年5月1日、エーミール・フィスターが妻のドローレスとともにホテルの暖簾を引き継ぎます。それによって新しい生命の息吹が得たシュテルンは、新たな全盛期を迎えます。1991年5月1日、フィスター家はホテルをブルナー家に売却します。ホテルを引き継いだ若きヴァルター・ブルナーは、品質と真心のもてなしをモットーに、経営に腕を振るいました。しかし、わずか6年にして、シュテルンのブルナー時代は幕を閉じます。同氏が重病の末に他界したのに伴い、1997年、ホテルの所有権はある支配人の手に移ります。 |
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アドリアン・K・ミュラーは、その徒弟時代、シュテルンでエーミールとドローレス(・フィスター)のもとに修行した経歴をもちます。その後、極東でホテルマンとしてのキャリアを積みます。しかし、数年後、望郷の念に駆られたミュラーは、家族とともに故郷のクールに戻ります。以来、老舗ホテルの経営という任務に、大きな自負と喜びをもって打ち込んでいます。.
ロマンティック・ホテルズ加盟
1974年にスイス・ロマンティック・ホテルズというプロモーション組織が設立されて以来、シュテルンはそれに加盟しています。加盟ホテルには、高い要求条件の充足が求められます。何よりも長い歴史に育まれ、オーナー自らが経営するホテルであることが条件になります。
www.romantikhotels.com
スイス・ヒストリック・ホテルズ加盟
4004年初め、「スイス・ヒストリック・ホテルズ」という名のもとに、スイスにある老舗ホテルの提携プログラムが発足しました。それ以来、創業1388年~1908年という歴史あるホテル・旅館40軒がそれに加盟しています。それらの歴史薫る建物での宿泊は、きっと忘れがたい旅の思い出となることでしょう。
1677年築のロマンティック・ホテル・シュテルンは、4006年12月以来、同組織に加盟しています。
www.swiss-historic-hotels.ch |
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